第2話 救いの井戸

  七不思議の第2話は「救いの井戸」のお話でございます。

 いまはむかしとなりましたが、長林寺の山門前に、おたすけの井戸と呼ばれる井戸がございました。いまでも山石に囲われた小さな井戸址が残っておりますが、落葉や泥が堆積して、水もお情け程度にしかございません。かつてはこんこんと清らかな水を湛え、涸れることがなかったと申します。不思議にもこの井戸は寺の本堂裏の瓢箪池と水脈が通じていたそうで、瓢箪池に水のある限りこの井戸も涸れることはなかったのだそうでございます。
 なにゆえにおたすけの井戸と呼ばれたかと申しますと、この井戸の水で身体を清めてから山内に入りますと、なんぴとでも命の保証が与えられたからなのでございます。
 犯罪を許すべきでないことはもちろんでございますが、むかしは濡れ衣を着せられるものも多かったようでございますし、またあまりの貧しさのために、つい出来心で盗みを働く者も少なくなかったのでございます。それでも情け容赦のなく厳しい代官の追及の手は伸びてまいります。圧政の封建の世にあっては、寺は弱き庶民たちにとって、いのちのきわの救いの場所でございました。この井戸の水で身を清めまして、山内に一歩入りますると、その方は安全と安心を得ることができたのでございます。と申しますのも、寺というのは、当時は寺社奉行の管轄でございまして、一般奉行所の権限は及ばないところだったからでございます。
 犯罪はいつの時代にも憎むべきものではございます。人は倫理や法に違反したならば、その限りにおいて裁きを受けるのは当然でございます。しかしながら、裁くのも人、裁かれるのも人でございます。まったく誤りがないとも限らないのでございます。濡れ衣を着せられたまま、捕えられて、はりつけ・獄門の刑に処せられてはたまったものではございませぬ。たとい重罪を犯した人でありましても、たとえばかのアングリマーラの故事にもありますように、宗教的な救済への道は閉ざされてはならないと思うのでございます。とにかく当時の時代環境のなかでは、社会の公正を保つ上でも必要なしくみであったと申すことができましょう。圧政の封建の世にあって、弱き庶民たちにとって、寺はいのちのきわの、救いの場所であったのでございます。