第7話 猿ケ池と権現池


 道了尊の山麓に、猿ヶ池という、いまはセメントで岩石を固めてつくられた小さな井戸がございます。石段の向かって左側、道祖神杉(どうそじんすぎ)の根元のところでございます。
 ところが、これはほんとうは猿ヶ池のしぼれ水の溜まりでございまして、もとの猿ヶ池は、その奥左にございます一畝(いっせ)余りの湿地帯と、そのなかの大きな岩石に堰(せ)かれた泉のことでございました。
 わずか一坪ほどのものではございますが、こんこんと清らかな水を湛え、むかしは猿が水を飲みにまいりましたことから、この名がついたものといわれております。この湿地帯こそ、むかしから寺と門前の人々の飲料水湧出の源泉でございまして、貴重な水墓だったのでございます。

 天正の時代、第7世の中興源室永高さまがこの地に長林寺を移創されました頃は、関東地方ではまだ血なまぐさい戦乱が続いておりました。その上に干ばつと飢餓、洪水に疫病と、くりかえす天災、人災の世に、住民たちはそれこそ塗炭の苦しみにあえいでいたのでございます。その時分、この地域もちょうどひでりが続いておりまして、山内の水は涸れ、門前の農家の方々も飢餓に瀕しておりました。
 なにゆえにか、おどろおどろと鳴動を続ける東大平山、修行をおこなっておりました衆僧たちのなかにも病人が相次ぎまして、禅師さまのお心はたいへんおいたみでございました。ところが、ある夜のこと、そうした禅師さまの夢枕に道了さまが現われたもうたとのことでございます。
 
 「われは道了大菩薩なり。汝、源室よ。最乗輪番の身をもって、われを忘るることなかれ。汝、すみやかに東大平山、岩富士のもと、寺を臨みてわれを祀るべし。しからば、鳴動おさまりて山下千古の水を湧出せしめん。箱根の水なり」。

このように申されたそうでございます。またさらに、山内の疫病のために、

 「爾今毎朝、梅干三個を食すべし」

と申されて、姿を消されたのだそうでございます。
 道了さまのお姿は、白髪・白髭・白衣であられたとのことでございますが、これはこの山川の地域の鎮守でございます白髭神社にも通い、また箱根権現にも通う言い伝えでございます。箱根権現と申しますのは、最乗寺の権現水をくださった神で、恵明禅師の夢枕に立たれたといわれております。
 さて、源室禅師さま、夢より覚め給うや、はたと膝をたたかれまして、早速に最乗寺に拝登されまして、道了さまを拝請なされたのでございます。東大平山は岩富士のもとに一宇を建立されまして、道了さまをお祀りいたしましたところ、たちまちにして鳴動はやみ、山麓より泉が湧き出しまして、約一畝に及ぶ猿ヶ池湿地帯が現出したのでございます。
 以来400年間、どのようなひでりにも涸れることなく、また権現池より西の水が白濁し、鉄分が多く、洗濯にも向かない悪水でありますのに、この水だけは清く澄みきった水であったとのことでございます。この水脈は東大平山沿いに、国道(現在の県道)近くまで清冽な水を流していたといわれておりますが、寺でも戦前までは、この水を筧で引いて使っておりましたし、徳川末期にはこの水を本堂裏の瓢箪池に落としていたとか、聞いております。