第1話 たらちねの松

 慶長という年の頃のことでございます。中興さまのお弟子に将山門盛(しょうざんもんぜい)というお坊さまがおられました。中興さまがこの山川の里に旅の笈(おい)を下ろされ、川田豊前守や石川主水、安藤帯刀など謙信公の派遣されたご家臣の方々のお骨折りによりまして、寺が再興されてから既に数十年の歳月が経過しておりました。
 門盛さまは、毎日のように門前に出られて、松の植栽を続けておられました。
 「門盛や、どこにおる」
山門の辺りから源室永高さまが、姿の見えない門盛上座を心配して呼びますと、
 「禅師さま、わたしはここでございます」
見れば門盛上座は、はるか大門の南のはずれで作業をしておりました。
 「おー、そんなところにおったか」
禅師が近づいてゆくと、
 「ハイ、禅師さま、申し訳ございません。修行に専念もせず、このようなことにばかり精を出しております」
 「いやいや、門盛、わしはお前がすぐに音を上げるのではないかと思っておったが、よくぞここまで植えたものだ」
 「あ、ありがとうございます。生来、私はどうも学問は苦手でございますが、山の仕事や農作業には慣れております」
 「しかし、どうだ門盛、もうこれだけ植えれば、よいではないか。山門頭から数えてみたが、もう四、五十本は植えてあるぞ」
 「はあ、たくさん植えましても、禅師さま、松は日照りなどで枯れてしまうものもございます。多少は多目に植えておかねばなりませぬ」
 「なるほど、そうであったか」
 「しかし禅師さま」
上座はとつぜん作業の手をとめ、さも嬉しそうに顔を輝かせながら申しました。
 「実は禅師さま、さきほど村の衆がまいりまして、あとはわしらがやると申し出てくれました。ですから、きょうで終わりにいたします」
 「おー、そうか、それは良かった。お前の姿をみて、村の衆もその気になってくれたか」
禅師さまはうんうんと頷きながら、「よかった、よかった」と繰り返しました。
こうして門盛上座が大門の南端まで松の苗を植えたあと、こんどは村の衆が作業を引き継ぎ、十日ほどかけて山沿いの参道にも松を植えてまいりました。その数はぜんぶで百本ほどにもなりました。

 それからいつしか中興さまの時代も過ぎて、元禄の頃にもなりますと、門盛上座が植えられた松も大きく成長して、黒松・赤松の立派な松並木になっておりました。
 その頃になりますと、一本の松を称して村の衆が「たらちねの松」と呼ぶようになりました。それは門盛上座が最後に植えられたあの大門の南端の松でございました。松の幹は奇妙にも根本近くから三叉に分かれ、幹が分岐する辺りには人が腰を下ろせるような格好でございました。一本ではあるが、遠目には三本に見えますことから、それまではよく三本松と言われておりました。たらちねの松ともいわれるようになりましたわけは、次のような出来事によるものと聞いております。

 ある冬の寒い黄昏時のことでございました。松並木の参道に、乳飲み子を抱いた一人の旅の女がたたずんでおりました。疲れ果てたようなその姿ににじむ絶望は、まさに行き昏れて途方にくれた、しかも子ゆえに必死に生きて来たという感じの女でございました。
ちょうど三本松の辺りで、山門の方を見ながらしばらくたたずんでおった女は、突然意を決したように、抱えていた乳飲み子をその三本松のまたに置き、足早に去って行ったとのことでございます。
 当時の長林寺はいわゆる修行寺でございましたので、山内に頼ろうと思っても、女人禁制でございました。
 「ふがいない母ちゃんを許しておくれ」
女は子どもに詫び、三本松にむかって、「どうか、この子をお助けください」と拝み、寺の山門の方に向かって、深々と一礼をすると、あとは後ろ髪をひかれるという感じで、三本松をふりかえりつつ、向こう山のふもとを南に向かって、暮れゆく闇に消えて行ったのでございます。その女が、その夜、のちの通称「おべんが淵」という深淵に身を投じたという噂をあとで聞いたと申します。
 さて、置き去りにされたその子は、寒中にもかかわらず、一晩凍えもせずに行き続けました。いまも外側に残るこぶ、かつては木のまたの真上にもあって、にじみ出てはポトリポトリと落ちる甘い松の乳が、赤子の口のなかに落ちて、母親に代わって飢えを満たしてくれたのでございます。
 翌朝がまいりました。方丈さまが境内の見回りで、松並木に来かかりますと、三本松で赤子の泣き声がします。
 「おお、可哀想に」
方丈さまに抱きとられた赤子は、さっそくに寺の庫院であたたかいふとんに寝かされ、それからは大勢の弟子たちに可愛がられ、また守られながら、大きくなって行ったそうでございます。やがて、寺の小僧さんになり、成人してはどこかの寺の住職となったと聞いております。
 そして、それから後は、生活に困窮した親たちが、子どもを夜のうちに三本松のまたに置いておきますと、あくる日には方丈さまが拾って下さり、育てて下さったということが重なりまして、いつしか、この松のことを「母の松」とか、「たらちねの松」というようになったとのことでございます。
 寺の小僧さんのなかに、怠け者がおりますと、先輩方に「三本松にかえしてしまうぞ」とか、「三本松にいいつけて、松の木にしてしまうぞ」などと、叱られたそうでございます。また、小僧さんが「私の親はどういう人だったのでしょう」などと聞きますと、「おまえの親は三本松だ、おまえはあの三本松のまたから生まれたのだから、三本松以外に親はおらぬ。親が知りたかったら、三本松をみてきなさい。三本松が枯れないように、親孝行をしなさい」などといわれたそうでございます。

 こういうわけで、大門の南端の三本松は、ひとびとから「母の松」とか、「たらちねの松」と呼ばれるようになったのでございます。門盛上座の植えられた松も、よる年波か、はたまた公害のせいか、近年は次々と枯れておりますが、なんとか後世に伝え残したいものでございます。